伊藤若冲は京都錦小路の青物どん屋に生まれた。はじめ狩野派につき、中国の古画、新画に学び、実物の写生を行い、独特の個性あふれる画風を確立した。

単独で止り木に止まる白い鸚鵡を描いた本作品の類品が和歌山・草堂禅寺、ボストン美術館などにもある。特にボストン美術館本、及び個人蔵本とは一連のものであった可能性が指摘されている。止り木に鸚鵡が止まる形式は架鷹図と近い。鸚鵡は黒目の部分に漆を用いて眼の輝きを表す。板倉聖哲氏が「動植綵絵」の《老松鸚鵡図》について指摘したのと同様に中国北宋時代の徽宗《桃鳩図》にも見られる手法で、若冲の中国絵画研究を示す。白い胡粉を羽として透け残した地を体とし、赤みを差す手法は白い鶏を描く際に用いられたもので、本作品では短い弧線を組み合わせた腹部の表現に特色がある。この手法は中国宋代の花鳥画に由来するが、当時日本で流行していた中国人画家沈南蘋の画風とも共通する。