鏑木清方は本名健一、戯作者篠野採菊の子として東京神田佐久間町に生まれる。13歳で水野年方に入門、はじめ挿絵画家として人気を博すが、明治40年頃本画家を志し、鈴木春信や勝川春章の作品に学んで造型を模索する。大正4年の文展に《霽れゆく村雨》を出品した頃から画壇に認められ、やがてたおやかで粋な独自の美人画を確立、近代日本画を代表する作家として弛まぬ制作を重ねた。
本図が描くのは板橋に佇むまだ若い、あどけないと言ってよいほどの表情を浮かべる女性。タイトルのごとく衣を通る風が心地よく、見るものにも吹き付けるようである。『制作手控貼』には「紫陽花薊など避ける汀に小さき橋かかり淡紅に唐紙文様の衣着て被衣着たる慶長頃婦女を描く」とあるが、女性の髪型や着衣から寛永期の風俗画を参考にしたと考えられる。明治期末以来の浮世絵研究が一段落して評価も得た後、さらに遡って江戸時代初期の風俗や絵画への関心を強めていた頃の作品である。