小原古邨(1877-1945)は金沢の生まれ。本名は又雄、鈴木華邨に学び古邨と号する。フェノロサに指導されてアメリカ輸出用の花鳥画を描くようになり、滑稽堂・秋山武右衛門と大黒屋・松木平吉から花鳥版画を刊行。明治期末には少なくなった、錦絵の新作を手がけた絵師のひとりであった。大正元年(1912)画号を祥邨と改めていったん肉筆画に専念するが、昭和元年(1926)より渡邊版画店と組んで木版画に復帰した。のちに豊邨の名で酒井好古堂と川口商会の合版も手がけている。花鳥版画専門の絵師として昭和前期まで長く活動を続け、米欧での人気は高く、総作品数は500を超えると言われる。
本作は秋山武右衛門版の一点。秋山の古邨作品に多い長大判のたっぷりした画面に、盛りの木蓮と一羽の九官鳥を描く。鳥よりも大輪の花を大きく扱い、白い花弁と黒衣の鳥を対照させた構図が秀逸である。また、色数を絞った構成にはどこかモダンな感覚も匂わせる。絹本の肉筆画を下絵とし、複製的な作品が多い古邨のなかでは、木版画らしさを活かした佳品といえよう。