曾我蕭白は京都の商家に生まれ、早くに両親をなくして画業で身を立てた。京狩野に学び、室町時代の雪舟の画風を慕った高田敬輔に師事した可能性が高い。蕭白は曾我派、雲谷派、京狩野、黄檗絵画、中国元代の顔輝、明代の浙派等様々な画風を取り入れ、当時盛んに行われた、新しい中国風の絵「唐画」の絵師とみなされていた。

橋の上の三人の人物に気づき、そのポーズから笑っていることに思い至れば、「虎渓三笑」の故事を描いたものとわかる。虎渓三笑とは、廬山に住む慧遠法師を陶淵明と陸修静が訪れた帰り、慧遠法師が二人を送る途中、話に夢中になって超えないことにしていた虎渓を過ぎてしまい三人で大笑いしたという故事である。儒仏道の三教一体を表す故事で、陶淵明は儒教、慧遠法師が仏教、陸修静が同郷を表す。そしてその故事に気づいて、李白「廬山の瀑布を望む」にうたわれたように、廬山が滝でも有名だったことを思い出すと、画面に大きく描かれた滝が急に意味を持って見えてくる。故事をよく理解した人々が蕭白の絵を求めたのであろう。サインペンで描いたような山、塗り残しの白さを生かした岩肌や雲の表現もみどころである。画風、印章から蕭白晩年の安永期の作とみられる。