浜口陽三(1909-2000)は和歌山県有田郡広村(現在の広川町)の生まれ。生家は代々千葉県銚子で醤油醸造業を営み、浜口自身も5歳で同地に移り住んだ。1928年(昭和3)に東京美術学校に進むが日本の美術教育に飽き足らず、退学してパリに渡る。はじめ油彩を手がけるも次第に離れ、28歳の頃独学で銅版画を試作した。戦争による長い空白を経て銅版画を再開、1953年に再びパリへ移り、翌々年に黄・赤・青・黒の四版を重ねるカラーメゾチントを開発、ベルソーを自在に、不規則に扱って画面に光を取り込む独自の造型により、国際的な評価を得た。

暗い背景に皿のような開口部を空け、桜桃のシルエットを配する。黒いさくらんぼという主題は1956年に始まるが、本作ではモチーフをひとつに絞り、茎を直線にして記号のように扱うことにより、簡潔な、張りつめた構成としている。水を連想させるニュアンス豊かな青に孤立した果実が浮かぶ空間は、静謐で瞑想的ですらあり、しんとした心地へと観者を誘う。カラーメゾチントを創造して5年、浜口の造形が強靭な構成と神秘性を獲得してゆく過程を示す佳品である。