2017年6月7日[水]- 7月30日[日]
会期
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2017年6月7日[水]-7月30日[日] ※この展覧会は終了しました |
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休館日
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7月3日[月] |
観覧料
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一般1200円(960円) 大学生700円(560円) 小・中学生、高校生無料 ※( )内は前売券、団体20名以上、千葉市内在住65歳以上の方の料金 ※前売券はミュージアムショップ(5月28日まで)、ローソンチケット(Lコード:34280)、セブンイレブン[セブンチケット]および、千葉都市モノレール「千葉みなと駅」「千葉駅」「都賀駅」「千城台駅」の窓口(7月30日まで)にて販売 |
主催
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千葉市美術館
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出品協力
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東京国立近代美術館
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山形県米沢市に生まれた椿貞雄(1896-1957)は、早逝した長兄の影響により画家を志すようになります。1914(大正3)年に上京した椿は岸田劉生(1891-1929)の個展を見て彼に会うことを決意しました。翌15年、劉生に迎えられた彼は草土社の結成に参加します。また彼は思想的には武者小路実篤や長與善郎たちの人道主義の感化を受け、『白樺』に育まれた芸術家として成長していきました。
椿は美術学校などで正式な絵画技法を習得しないまま、画家となりました。劉生も白馬会葵橋洋画研究所で指導を受けた以外は独学でしたが、椿と出会った当時、独自の思索によって明治期以来の油彩画のなかで際立って濃密な絵画世界を作り上げようとしていました。椿は文字通りそのかたわらで絵画の制作を学びました。
椿の画業は1920年頃より始まった劉生の東洋的写実に対する関心に従って変化し、やがて日本画(墨彩画)の制作も行うようになります。29年、椿は劉生の死によって制作に行き詰まるほどの状態になりますが、劉生が構想した日本における油彩画表現を受け継ぎ、独自の画境に到達しました。その世界は、東洋絵画の伝統を踏まえながらも近代日本の市民生活に根ざしたおだやかさに特徴が見られます。
椿は1927(昭和2)年から亡くなるまで船橋市に住み、制作活動を続けました。歿後60年を迎え、彼が暮らした房総の地で開催される本展では、本人の作品だけではなく、彼の画業を考える上で欠かせない岸田劉生の作品、そして51年から父と同じ国画会に出品した次女の椿夏子(1926-2004)の型絵染による作品を紹介し、市井に生きた日本人が見つめた世界を回顧します。
※会期中、一部展示替えを行います。