鑑賞者とつくる「変化」の新しいかたち
飯川 2018年に尼崎市で開催した個展「デコレータークラブ 配置・調整・周遊」の会場で、畑井さんから「つくりかけラボ」の話を初めて聞いたとき、「僕のための企画や!」と感じました。僕は普段から制作の過程にある交渉や交流、試行錯誤ができあがる作品と同じくらい、いや、作品よりも面白いと思っているんですが、つくラボはまさにそこに焦点を当てていて、かつ、失敗が許されるような余裕のある気配を感じたからです。
畑井 飯川さんは企画の当初から候補作家でしたね。その尼崎の個展で、飯川さんは、観客が会場の壁などに能動的に働きかけることで変化させていくインスタレーション作品を展示していたのですが、作品がただ空間にあるのではなく、観客がそこにいることで初めて成立するというあり方は、私がつくラボで試したいこととも重なっていたんです。
——まさに今回のつくラボの展示も、観客が会場にあるモノや壁を動かすことで状況を切り開いていく展示でしたね。
飯川 こうしたタイプの展示は、その尼崎の個展から始めました。じつはこの個展の際、当初は展示室と同じ大きさの構造体をつくり、観客は一切部屋に入れないだけ、というプランを考えていたんです。テレビでよく、芸人がいる狭い部屋が風船でパンパンになる演出がありますよね。それを見て、ある部屋と同じ大きさの部屋があったら、空間認識ができなくて面白いなあと子どもの頃から思っていたんです。
だけど実際に会場を見たら、地域の普通の公民館だったこともあって、どこにでもありそうな既視感のある空間だった。そこで、せっかくなら鑑賞者の記憶に残る要素を入れたいと思って、動きのない空間で、観客が能動的に動くことで段階的に情報が増えていく仕掛けを考えました。じつは当時、普通の展覧会にどこか飽きてもいたんですね。
——というのは?
飯川 「もっと作品に引き込めるやん」と。平面でも映像でも、いくらでも良い作品をつくる作家はいますが、もっと作品に引き込まれたい欲求が僕にはあって。つくラボにも登場した「ピンクの猫の小林さん」は、完全にそっちの方向に振り切ったタイプの作品ですね。デカくて可愛くて、けど全貌を写真に収めることができない、観客が戸惑うことで考えてしまう。そういう作品性に関心が移った頃だったんです。
畑井 つくラボに飯川さんを呼びたかったもうひとつの理由は、「変化」の新しいかたちが考えられそうだと感じたことです。「観客と関わることで空間が変化する」というつくラボのコンセプトを作家の方に伝えると、どうしても会期中にどんどん何かが累積していくタイプの作品が多くなるんですね。
——最初は白紙だったものが、観客の行為でどんどん埋まっていくタイプの作品ですね。
畑井 もちろん、そうした作品も面白いのですが、つくラボではそうではない変化も見せたかった。たとえば、観客が残したコメントなり身振りなりに対して、作家が時間をかけて応えるように空間を変えるといった変化があってもいい。実際、今回の飯川さんのプロジェクトでは、そういったことがたくさん起きましたよね。
飯川 お客さんから、かなり情報をもらいました。たとえば今回、観客が動かした茶色い壁をスタッフに棒を使って元の位置まで戻してもらう作業があったんですが、その様子が面白いという反応が意外に多くて、そこまで含めてお客さんに任せれば良かったと思いました。ほかにも「そうすれば良かった」と思うようなアイデアをもらうことが多くて。ほんまに、千葉に入った今年5月末から10月までのこの約4カ月間、三つくらいの展示をやって二つを失敗したような気分です(笑)。
美術館スタッフのキャパシティを広げる
——美術館の4階と屋上がロープでつながっていて、観客がウインチを回すと外壁に吊るされたカバンが動くという大胆なアイデアはどのように思いつかれたのですか。
飯川 4階にあるつくラボの空間自体はシンプルですが、僕は千葉市美術館を見学した最初の頃から、その段々畑のような外観が「変だなあ」と気になっていたんです。しかも、日本において、こうしたビルの建物の美術館は珍しい。だったら、外観も活かしたいなと考えていたとき、以前、茨城のあるワークショップで、小学校の建物や屋外をロープでつなげて大きな設計図を描いたことを思い出しました。
このときの制作は、いままでで一番面白かった制作で、体育館から音楽室を感じるみたいに、同時に複数の空間のことを想う感覚に手応えを感じた機会でした。いわば、「ここ」と「向こう」を物理的につないで感じる、糸電話に通じる面白さですよね。この方法で、ビルの外観が使えるんじゃないかと思ったんです。
——外壁を使うのは、畑井さん的には不安だったんじゃないですか?
畑井 いや、めっちゃ面白いなって……(笑)。
飯川 反応良くて安心しました(笑)。じつは高松市美術館でも以前、観客がカバンを動かす作品を実験的に発表したことがあって、畑井さんはそれも見ていたんです。
畑井 高松では廊下にロープが露出していて、それを辿る面白さがあったんですけど、千葉市美では見えない。そのつながりを想像するのが面白いし、ビルの高さを活かすならウチでしかやれへん企画やな、と。「イレギュラーなことだからできない」ではなく、実現するために何をどうクリアしていこうか、と考えていきました。
——実現に向けての課題とは何だったのでしょうか。
畑井 大きかったのは安全性です。そこには法律的なものと、見た目の不安という心理的なものと二つがあったと思います。物理的には絶対安全だけど、それをいかに心理的にも納得してもらうか、よく相談しましたね。
飯川 今回、僕は7月からの会期に向けて5月下旬から千葉に滞在したのですが、その時点で美術館の方たちに一定の心構えができている感じでした。「何かをやろうとしている奴が五月から入るらしい」と。受け入れ状態として、すごくやりやすかったです。
畑井 当然、スタッフには不安や手間が増えることへの抵抗もあるのですが、できるだけ丁寧に各課とコミュニケーションすることを心がけました。私の詰めが甘く、オープン直前にある関係者の方から「危ないのでは」と意見が出てきて、確認のために作品の公開が遅れるということもありました。ただ、お願いして実際に現場に見に来ていただいたら、安心していただけて。
飯川 そのやりとりを経て、より安全な要素が増えたんです。
畑井 大変でもありますが、そうしたプロセスも含めてつくラボなんです。
——美術館に関わる人たちの心理的なキャパシティを拡張する試みでもあるんですね。
飯川 最初は厳しかった管理課の人も、最後は笑顔で挨拶してくれました(笑)。僕が展示の一か月半も前に現地に入って、誰よりも長く美術館にいたことも良かったのかもしれません。そうした作家はなかなかいないので、「そんなにやりたいんや、この人」って感じてもらえたと思います(笑)。警備や設備の方などにもとても親切にしていただきました。
——面白いですね。普段、美術館で作家が関わるのは主に学芸員ですが、設備や警護の方の信頼も得て、その方たちのルーティーンも変えないと今回の展示はできなかった。
飯川+畑井 そうです、そうです。
飯川 めちゃめちゃ嫌がられる可能性もあるわけです。
——それを、「やってみようか」に変えないといけない。
畑井 私は、そこも含めてつくラボだと信じています。当たり前ですが、学芸員以外にも美術館を支えている人たちはたくさんいる。設備や警備、市や財団の方まで、美術館に関わるみんなの体力を強くする、ワクチンのようなものがつくラボだと思っています。
——展示室と屋上を物理的につなげるのも大変だったのでは?
飯川 美術館なので、セキュリティや気密性の問題があり、窓を開けたままにしたり穴を空けたりすることは基本的にできないんですね。でも、僕としてはウインチを回したときの重さの感覚が重要だったので、物理的につなぎたかった。そんな風に模索していたとき、ある設備スタッフの方から唯一の抜け道を教えていただき、つなげることができました。
畑井 そもそも、私も含めて美術館のほとんどのスタッフは屋上に出たこともなくて、その様子を知らなかったんです。今回のつくラボを通して、スタッフのなかで「美術館」というものの枠組みが、物理的にも心理的にも広がったのではないかと思います。未知のものや経験がないことに対する怖さや不安はもちろんあるんですけど、イメージが実際に見えてきたときに、シュっと協力してくれるモードに変わる瞬間がありましたよね。
飯川 そうですね。その信頼を得るうえで重要だったのは、僕が一番この美術館について詳しいと感じてもらえるくらい、長い時間を美術館で過ごしたことだったと思う。全員経験がないことをやるのだから、最低でも自分が美術館を隅々まで知って、イメージできていないとあかん。それがあって初めて、協力したくなるプランが提案できたと思います。
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写真 阪中隆文